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●イグアス移住地の歴史
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![]() 原始林の中のロッテ調査 |
![]() 移住当初の仮小屋 |
![]() 60〜70年代のイグアス移住地 セントロ(今の中央公園前) |
イグアス移住地も、入植当初は他の移住地同様、うっそうとした原生林の開拓から始まりました。自営開拓農業の入植地として始まったイグアス移住地ではありますが、入植がはじまった当初のイグアス移住地は交通の便も悪く、作物の販売が難しかったため、マイス(とうもろこし)、マンディオカ、陸稲など自給自足的農業から始まりました。
トマト豊作に笑顔その後、移住者たちの携行資金が減少していく中で、資金回転の早い換金作物として注目されたのが蔬菜です。中でも、60年代から70年代にかけての移住地の収入は、トマトの栽培は支えていたといって過言ではありません。1969年の海外移住事業団による調査では、イグアス農家の70%が蔬菜を主体とした営農形態をとり、それら蔬菜農家の95%がトマト栽培を軸にしていました。また、移住地全体の売上農産物高のうち、トマトが占める割合は65%でした。その後、メロンの栽培もさかんになり、1970年代のイグアス移住地は、トマトとメロンの生産地としてパラグアイ全国に知られることとなりました。
また、当初イグアス移住地は肉牛の産地形成を期待して開設された移住地でした。事業団の勧めもあり、70年代には移住者や進出企業が本格的な牧畜に取り組むなど、牧畜に取り組んだ移住者は他の地域より多数となりました。しかし、マーケット不足や冬季の凍霜害などで伸び悩みました。
畑作は1968年ごろから大規模な大豆栽培に取り組む農家もありましたが、1972年に事業団イグアス事務所にブルドーザー等が導入されたことを受けて、開墾が進み、78年にはトマトに並ぶ柱となりました。
70年代には養蚕も行われたその他に、70年代中期には、ピラポなど南部移住地で行われていた養蚕が導入されイグアスの基幹産業となりましたが、1983年にはピラポにあった日系進出企業パラグアイ絹糸工場ISEPSA(イセプサ)が撤退したことで急激に減少しました。
その後1980年代には、養蚕業の撤退、蔬菜の市場競争の激化、大豆市場価格の低迷と低収量など不振が続いた上に、大規模機械農業への資金投入が、ドルの高騰を受けて農家の負債を膨大させるなど、逆境続きとなったため、移住者の中では経営規模の縮小や日本へ帰国する移住者も相次ぎました。しかし、1983年に不耕起栽培の導入が成功したことにより、大豆栽培は80年代中期からは高収量を記録すると共に、不耕起栽培先進地として、パラグアイ全国にその名を馳せるようになりました。
イグアス農協製粉工場による
Harina Nikkei
(写真提供:松本匡代さん・
日青ボ17回生・イグアス農協)現在のイグアス移住地の基幹作物は大豆で、実に大豆畑が移住地面積の約3割(約25,000ha)を占めるに至っています。なお、この大豆収穫後の冬作には小麦が栽培され、イグアス農協では自前の製粉工場でHarinaNikkeiが生産、販売されています。 また、近年は裏作に緑肥食物としてトウモロコシやえん麦なども導入されたり、牧畜との複合体系の導入が図られたりと、地力を保ち、より環境保全を考えた持続的農業への取り組みがすすめられています。他にも、畑作だけに頼った営農形態からより多様で安定した形態の確立のため、1991年に発足した日系全パマカダミアナッツ研究協議会を中心に、永年作物としてマカデミアナッツの導入も進められています。
※ここまでの歴史写真は、イグアス農協より提供されました。
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中央公園のシンボル 大鳥居
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中央公園内の「友好の碑」は
日本人とパラグアイ人の融和をイメージ |
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イグアス農業協同組合
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イグアス農協 サイロ
(写真提供:松本匡代さん・ 日青ボ17回生・イグアス農協) |
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イグアス農協 製粉工場
(写真提供:松本匡代さん・ 日青ボ17回生・イグアス農協) |
イグアス移住地
入植30周年記念碑 |
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皇太子同妃殿下
イグアス訪問記念植樹 |
サンホセオブレーロ教会
敷地内には聖霊幼稚園が併設 |
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国立小学校
マリスカル・ロペス校 |
国立中学校
パラグアイ・ハポン校 |
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市役所
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桔梗会館は海外移住婦人ホーム
同窓生の集いの場として設立された |
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空から見たイグアス湖
(写真提供:イグアス日本人会) |
モンダウ地区の日系人農家の畑
(写真提供:イグアス日本人会) |
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イグアス移住地では
おいしいラーメンも食べられる (写真提供:松本匡代さん・ 日青ボ17回生・イグアス農協) |
イグアスの大豆を使った |
■CETAPAR(JICAパラグアイ農業総合試験場)■
CETAPAR(セタパル)セタパル(CETAPAR(JICAパラグアイ農業総合試験場))はパラグアイにおける移住事業の重要な柱として移住者の営農の安定と振興を図る為に1962年に設立され、1994年に移住事業の再編が行われた後は、国際協力としての農業技術支援が行われ、各種機関と連携したプロジェクトを実施した技術協力事業が展開されるようになり、2000年からは、日系移住者に限らずパラグアイ国の農業技術者・農業従事者を対象としてプロジェクトとして技術協力事業が行われています。
活動としては、大豆、小麦、トマト、メロン、肉牛、牧草に関する調査研修、土壌の分析や定点調査、ならびに普及活動などを実施しています。新品種トマト「Super CETAPAR」やメロン「Luna Yguazu」はセタパルによる新品種です。
病害虫に関する研究所現在は移住資料館の
整備も進められている
■CADEP(東パラグアイ三育学院)■
2001年には大サロンを備えた
教室棟も作られたカデップ(CADEP(東パラグアイ三育学院))は、1992年にセブンスディ・アドベンティスタ教団によって設立されたパラグアイ国の文部省公認の私立ミッション校です。
同じくアドベンティスタの学校としてアスンシオン三育学院が1975年に設立されていますが、それ以上の敷地拡大が困難であったため、緑豊かなイグアスにおいて120haもの敷地を利用し新設校としてCADEPが作られ、同校の創立理念である知育、徳育、体育の総合的発達を通した円満な人格形成を目指しています。
三育学院の特色としては聖書の学習のほか、寄宿制度があり、労働作業学習が設けられているため、生徒たちによって清掃などがされています。また、働きながら学習する生徒のための労働学生制度も設けられています。
充実した女子寮労働作業学習が取り入れられている


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パラグアイ南部地域には、ティエラ・ロシアと呼ばれる世界でも有数の肥沃な赤土が広がっています。この赤土地帯を豊かな穀倉地帯に変えた農業技術が、不耕起栽培です。 |
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![]() 慣行栽培による播種作業 |
![]() 不耕起栽培による播種作業 |
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![]() 慣行栽培の播種後の畑の状況 |
![]() 不耕起栽培の播種後の畑の状況 |
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![]() 土壌流亡が起きた慣行栽培圃場 |
![]() 土壌流亡を起こさない 不耕起栽培圃場 |
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![]() 土壌流亡が著しい慣行栽培圃場 |
![]() 土壌保全がなされている 不耕起栽培圃場 |
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写真:全パ日系不耕起栽培研究組織協議会「パラグアイにおける不耕起栽培」より |
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不耕起栽培には、そもそもの目的であった土壌の保全のほかに、以下のような利点があります。
一方、問題点としては@専用播種機が必要であること、A除草剤による雑草防御が困難であること、B病害虫の多発傾向があること、C除草剤などの直接経費が比較的高価になること、D表層部の土壌の硬化などがあげられていますが、各種技術の改良が進むにつれ、改善される方向にあります。 1993年にはイタプア、アルトパラナ両県の日系を含む農家が中心となり、不耕起栽培を主目的とした持続的農業の全国研究組織FEPASIDIAS(FEDERACION
PARAGUAYA DE SIEMBRA DIRECTA PARA UNA AGRICULTURA SUSTENTABLE)がアルトパラナ県サンタ・リタ市で結成されました。 なお、それまでのイグアス移住地は元来、畜産とトマト等の蔬菜栽培が主体の移住地でしたが、野菜の市場価格の低迷などにより伸び悩み、1980年代に入ってからイグアス農業は畑作への転換を模索したもののかえって経営を圧迫し、危機的状況に陥っていました。しかし、1986年、JICAの支援と指導を受け、不耕起栽培の導入を前提とした畑作への経営転換を図ったところ、天候と大豆の国際価格の高騰に助けられ、わずか3年で経営をもちなおすことができたという経緯があり、イグアス移住地の畑作生産者とイグアス農協にとっては、この不耕起栽培は農業技術革命をもたらした「救世主」ともいえるものとなっています。 〜参考文献〜 |
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![]() イグアス移住地の小麦畑 |
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| 作 詞 | 宇都 徳顕 | 補 曲 | 長内 リサ |
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(入植15周年記念入選作品)
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| 一、 |
大いなる 希望に燃えて |
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| 二、 | みどりなる 沃野きり拓き 我等住みし 南十字星の下 共に開かん ふるさとイグアスを 今ぞ かかげん文化の光り おゝフロンティア おゝ おゝ フロンティア |
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■■参考文献■■
■■取材および撮影等協力■■
▲▼▲▼この頁の文責・構成・写真・グラフィック等の著作は、阿部祐子に属します。▲▼▲▼