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ラ・コルメナ移住地関係資料

 パラグアイ最初の日系移住地である、ラ・コルメナ移住地に関係する資料です。移住案内、第二次世界大戦中の日本語学校没収に関する大統領令などを掲載しています。

拓務省拓務局によるパラグァイ自作農移住案内 (昭和12年(1937年)頃)
コルメナ時報「移住地の各位え」(1943年11月18日号)
日独人学校没収に関する大統領令(第9,980号、1945年8月27日)

 拓務省拓務局によるパラグァイ自作農移住案内

 昭和12年(1937年)頃、拓務省拓務局によって作成されたラ・コルメナ移住地への移住者の募集についての案内です。パラグアイという国に対する情報、移住に関する条件などが書かれています。これらと同時に、各地では移住に関する説明会などが開かれました。

移住者を乗せたぶらじる丸
移住者を乗せた移住船
ぶらじる丸
移住者の携行品の様子
移住者の携行品の様子
(写真提供:ラ・コルメナパラグアイ日本文化協会)

パラグアイ自作農移住案内

海外移住組合連合会の事業概要
  海外移住組合及同連合会は海外において広い土地を買い、学校・病院・工場等の施設を調えた上、之を移住者に分譲し、容易に自作農となり、且つ安心して生活出来るようにしようということを目的とする公益団体であって、移住者本位で、全く営利を度外視した仕組みであります。
 同会は、従来ブラジル国サンパウロ及びパラナの両洲に四ヶ所、二十余万町歩の広大な農耕地を所有し、邦人の植民事業に従事して、充分な実績を挙げていますが、パラグァイ国が法人農家の移住地として有望な国であることを認め数年来移住地適地を調査研究の結果、昭和十一年はじめて邦人の入植に関し、パラグァイ国との了解が出来て、六月以降二回に亘り三十六家族、約二百五十人の優秀な移住者を選抜して、最初の入植者として渡航せしめ、新しい生活の第一歩を踏み出していますが、更に引続いて移住者を渡航せしむる計画であります。
パラグァイとはどんな国か
   パラグァイ国は南米大陸の略々中央部にあり、ブラジル・アルゼンチン・ボリビアの三ヶ国に囲まれた、海のない国で、僅かにラプラタ河を以て大西洋に続いているに過ぎません。
 その面積は我が国の内地、台湾、樺太を併せたものと略々等しく、人口は僅かに九十万に過ぎませんから、岩手県の人口位で、首府アスンション市ですら人口は十万に過ぎないので、如何に未開地が多いかが想像できます。
 住民は欧州から移住したスペイン人と土着のグアラニー族との混血で、日本人に似通って懐かしみのある人種であります。
 地勢はブラジル境に高さ六、七百米程度の山脈があり、アルゼンチン境は緩かな起伏を呈し、中央部は平原と、二、三百米位の高原地で、パラグァイ河付近は平らな草原潅木地帯が多く、高地は一般に森林に蔽われ、大小の河川に恵まれ、その内主なる河はパラグァイ・パラナの二大河で、その間無数の河川が流れています。
 気候はブラジル国のサンパウロ・パラナ洲と略々同様で、一ヶ年間の最高温度は、特に三十九度近くに昇ることもあるが、最低は二、三度位に降ることもあり、年平均二十二、三度位で夏の三、四ヶ月を除けば快適の気候で、四季は日本と正反対であるが、その変化は日本の様にハッキリ分かれてはいない。雨量は、地方によって多少異るが相当に多く1ヶ年の中六、七、八、九、十一の五ヶ月は少く、大体夏に多く冬に少く、冬の間地方に依っては時々軽い霜の降る程度であります。
 この国は非常な健康地として知られ、一般に衛生思想が乏しいにも拘らず、伝染病やマラリヤも殆んどなく、猛獣毒蛇は至って少いから、案ずることはありません。
パラグアイは共和国で、一府十二県に分かれ、国教はキリスト教であるが信仰は自由で、教育は非常に遅れ無学の者が多く、国語はスペイン語であるが、一般にグァラニー語も通用しています。
 貨幣単位はペソと称し金貨ペソと紙幣ペソの二種類ありますが、金貨の方はアルゼンチンの金貨を代用し、紙幣一ペソは日本金の約一銭六厘程度ですが、常に変動がありますから、正確に表わすことは出来ません。
 鉄道は余り発達せず、僅かに首府アスンションからアルゼンチンの国境までパラグァイ中央鉄道(四千四百粁)というのがあるだけで、自動車の数も至って少く、未だに昔風の牛馬車を使用しているところが多い位で、河川に依る方が遥かに多く、水運の便は極めてよく、特にパラグァイ河はアスンションと大西洋への出口にあるアルゼンチンの首府ブエノス・アイレスとの間に千噸乃至千五百噸の汽船が往復しています。
移住者に分譲する土地は
  移住地はコルメナと称し、パラグァイ本土中最も早く拓けたところに在り、首府アスンションから百十粁(二十七里余)、パラグァイ中央鉄道イビチミ駅から約二十粁(五里)、面積約八千三百町歩、移住地内には山あり河あり森林・野原もあり理想的のところであります。
 この土地に種々の施設をして、一家族に対し約二十町歩を単位として分譲するのです。土地代は場所に依り多少異り且つ為替の関係で正確にはいえませんが、大体二十町歩、一千二百円程度で、代金は十ヶ年賦払となっていますから楽に自作農になれます。
仕事の順序
   移住者は自作農ですから、凡て自分の費用と自分の力で仕事を進めて行くのです。分譲地は原始林の多い未開墾地ですから、樹木を切倒して焼払い、その焼跡を整理してから仮住宅を建て、それから耕作に取掛かる順序でありますが分譲地内に住宅が出来るまでは移住宿泊所に入り、住宅が出来てから引越すことに成ります。
どんなものを作るのか
   この国の地勢・気候・地味等はブラジルのサンパウロ州によく似ていて、農作物としてはマテ茶・棉・煙草・柑橘・米・甘藷・豆類・野菜等で、マテ茶はこの国の原産で一名パラグァイ茶とも称し、ブラジル南部、アルゼンチン北部等にも栽培せられますが、パラグァイ産が最も良品です。
 棉・煙草は従来品質粗悪であったが、数年前からパラグァイ政府は品質の改良に留意すると共に、外国から良種を取り寄せて栽培を奨励しているので、最近生産量も次第に増加しているような現状で、農業はいたって幼稚ですから、日本の農業経験家が行って農業を始めたら、将来必ず好成績をあげることと期待されています。
 なおこの国には桑もよく生育するから養蚕業も将来有望でしょう。
収支関係
   移住者は自作農ですから経営は全く本人の随意であり、且つ又その成績如何は各家庭の労働力と勤勉の程度に依ることで、収支の標準を示すことは困難なことですが、パラグァイの実情を参酌して計算した一定の推定を示し、収支の一例として参考に供します。
 初年度の支出では、伐木・仮住宅建設・井戸掘・家具購入等の費用が約二百五十円、農具購入・害虫駆除。種畜種苗購入その他の資本に約二百四、五十円、生活費は家族の状態・生活程度によって異るが、五人家族として四百円内外、医薬費・交際費その他の雑費として五、六十円見当、これに第一回の土地代金十円を合算すれば、大体九百五、六十円の支出になります。
 次ぎに初年度の収入は棉約百三十円、米・玉蜀黍で約八十円、合計二百余円に過ぎないので、差し引き不足額は開拓資金を以って補うことになります。初年度は創業費がかさみ、収入は僅少ですが、二年度以降は開拓面積の増加と共に、収入も増加し、年と共に収入が増すばかりです。
 右初年度の開拓面積を仮に四町歩とし、パラグァイ貨六十ペソを一円として計算しましたが、働き手の多い家族ほど、開拓面積も広く収入もそれだけ多く成るわけです。
 開拓資金八百円(内五百円は生産資金として連合会より借入れることを得)は最初は一、二年の費用に充てられ、借受ける生産資金は移住地支配人が、移住者の実情並びに用途を調査した上、必要と認めた場合に五百円を限度とし、三年据置三ヶ年賦償還の条件で融通する
ことになっています。
 最初の二、三年間辛抱すれば、段々生活は楽になって行き、十年後には完全に地権を取得し、二十町歩の農耕地と手元金を合せて相当の資産が出来ます。
移住者の資格と特典
  資格
(一) 農業に経験があること。パラグァイは農業に有望な国であり、同国政府も農業者の移住を望んでいますが、又その上例えば大工・左官・鍛冶等、特別の技術者も適当です。
(二) 約二十町歩の自作農となるのですから、一家族に少くとも四人以上の働き手のあること。
(三) 移住しようとする者は、道府県庁内の海外移住組合に対し、出資一口(五十円)以上を引受け、第一回の払込金十円以上を納入し、組合に加入すること。
(四) 開拓資金として三百円以上を準備すること。到着後、仕事を進めるために一家族八百円程度の準備金が必要ですが、その内五百円を限度として連合会から生産資金を借受けることが出来ますから、移住者自身は最低三百円程度の資金を用意し、出発前に組合へ預け、移住地へ着てから必要に応じ、何時でも払い戻すのです。
(五) トラホーム患者でないこと。パラグァイはトラホーム患者の入国を禁じている上に、移住者の通過国たるアルゼンチンでは、特にこの病気に対する検査が厳重ですから、現にトラホームに罹っている者は勿論、以前この眼病に罹り、未だに痕跡のある者でも渡航できませんから、特に注意しなければなりません。
(六) その他。移住者は身体強健にして、何等欠陥なく、且つ意志が堅固で、如何なる困苦欠乏にも堪え得る者でなければなりませんが、更に原始林の開拓に興味を持ち、パラグァイを第二の故郷として共に栄える精神を以って、善き生活へ向って努力する人でなければなりません。ただ金銭のことにのみ捉われる様は人は向きません。
特典
(一) 汽車賃の半額割引。移住者は神戸から乗船するのですが、郷里から神戸迄の汽車賃及び荷物の運賃は半額割引です。
(二) 神戸移住教養所の無料宿泊。移住者は指定された日に神戸移住教養所に集まり、ここで身体検査に合格すれば出航日まで一週間乃至十日間滞在し、種痘・チブス及コレラの予防注射をやる外に、種々渡航上の注意を受けるのですが、食費や滞在費は一切無料です。
(三) 渡航費の補助。政府は移住奨励のため、神戸からパラグァイ国の首府アスンションまでの船賃(三等食事付)を一家族何人でも全部支払ってくれます。
(四) 渡航支度金の補助。渡航費補助の他、一家族何人でも年齢に依り左の通り政府から支度金の補助があります。
イ、十二才以上の者 五十円
ロ、七才以上十二才未満 二十五円
ハ、三才以上七才未満 十二円五十銭
この補助金は乗船が確定した出帆二、三日前移住教養所に於いて交付されます。
(五) 移住地に於ける保護指導。移住地には共同宿泊所、小学校、医局、精米所、煉瓦工場等を設け、生活上不安のない様に努めると同時に、農業経営については指導員が居って耕作上の世話をしてくれます。
支度はどうする
   移住者は質素で実用向きの服装をし、余分のものや贅沢品の買入れを見合わせ、出来るだけ移住後の資金に充てる様に心掛けねばなりません。
 教養所内には、海外渡航助成会という団体があり、渡航に必要な品を廉価に販売していますから、必要品はここで買う方がよろしい。
 荷物(手廻品は除く)は一人、大体十二貫までの制限がありますから、その積りで準備しなければなりません。
申込から移住地まで
  (一) 日本出発の時期。移住地到着に於ける仕事の関係上、大体一、二月から五、六月までに、日本を出発するのが好都合です。
(二) 移住手続。一家を挙げて移住するので、色々準備に手間取りますから、出来るだけ早く県庁又は海外移住組合へ申込み、一切の手続きを依頼することですが、手数料はいりません。
(三) 日本出発から移住地到着まで。乗船は大阪商船会社の七千噸乃至一万噸の汽船で、ホンコン・シンガポール・コロンボ・ダーバン・ケープタウン・リオデジャネイロ・サントス・モンテビデオ等に寄航し、五十日乃至六十日でアルゼンチン国のブエノス・アイレスに到着し、ここで係員の世話で川船に乗りかえ、ラプラタ河を遡ること四昼夜余りでパラグァイ国の首府アスンションに着き、移住地職員の出迎えを受け、汽車その他で目的地たるコルメナ移住地に到着する順序になっています。
申込みと照会先
  移住の申込みをする方や、尚一層詳細の事情なり、手続きなりを知りたい方は拓務省拓務局、あるいは自分の住んでいる道府県庁内にある海外移住組合又は海外移住組合連合会へご照会ください。
    拓務局−東京都麹町西日比谷
海外移住組合連合会−東京都麹町大手町一丁目七番地
パラグァイ拓殖組合−Colonia "La Colmena" Estacion Ybytymi E.C.C.P Paraguay
  《ラ・コルメナ20周年史より》

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 ● コルメナ時報「移住地の各位え」(1943年11月18日号)


パラグアイ拓殖部 事務所

 1941年に第二次世界大戦が開戦後、パラグアイは日本に対して国交断絶を宣言し、1942年には日本語学校も閉鎖、1945年には日本語学校の土地建物等を没収されるなどの措置がなされました。
 ラ・コルメナ移住地では、1942年に全家長が枢軸国人登録をすることを義務付けられたほか、6月には拓務省駐在員など日本からの派遣者の引き揚げ令が出されるなどして、後続移住者も途絶え、日本社会から途絶した状態になりました。
 以下の資料「移住地の各位え」は、1943年にラ・コルメナ移住地支配人日沖剛氏が干渉官の命によって国交断絶下のラ・コルメナ移住地の日本人に対する注意として、コルメナ時報を通じて日本人移住者達へ伝えたものです。

移住者の各位え

  移住干渉官Interventor マヌエル・へ・トランソ大尉は1943年(昭和18)10月31日に来植、本10月14日帰任に至るまで、移住地一般の事情その他詳細に亘って調査検討して行かれたが、特に左記事項に関して一般に通知するように依頼があった。
一、旅行と転任
  (a)国内
  (イ) 旅行転任の場合は総て干渉官の許可証明を要す。但し移住者退植転任は原則として許可されない。
  (ロ) 干渉官不在の際、急病その他の用件で急に旅行を必要とする場合は干渉官より委任された警察署長の証明書により特に許可される。この場合警察署長は干渉官に報告の義務を要す。
  (ハ) 急を要しない場合は、干渉官来植の際、またはア市事務所を通じ許可を採る必要がある。
(b)国外
  内務省の特別の許可なき限り、枢軸人の出国は禁止されている。
二、通信
  (イ) 国外に発信の場合は、予め干渉官の検閲を要す。
(ロ) 日本または枢軸国、ならびにその従属関係諸国に発信する場合は、検閲後万国赤十字社または西公使館を通じて発信のこと。
三、コルメナ時報
  時報の発行は差しつかえないが、発行ごとに訳文添付の上、二部干渉官に提出しなければならぬ。
但し掲載事項は、農業関係事項、必要な法令の訳文または通知に限る。
四、資金関係
  (イ) 預金の場合はパラグァイ農業銀行(バンコ・アグリコラ)に限る。
(ロ) 101千グァラニー以上使用の場合は予め干渉官の承認を求めなければならない。
五、集会の件
   集会は第一の禁止事項であるから謹(ママ)まなければならない。但し農耕関係事項で是非会合必要の場合は、干渉官の許可を必要とする。
六、身分証明書の件
   パ国在住の外国人で満十八歳以上の男女は総て警視庁発行の身分証明書を所持する義務があるが、正式手続きには費用も嵩むばかりでなく、多くの日数がかかるから便宜上干渉官の発給する身分証明書を所持すること。
七、前記事項並びに1941年2月公布された大統領令第10,793号の枢軸人取締り令に違反するものは容赦なく刑罰を受く。但し当国法令を遵守する善良な農業者に対しては干渉をしないし、またあく迄保護をして事業の発展を援助する。
   《ラ・コルメナ20周年史より》

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 ● 日独人学校没収に関する大統領令(第9,980号、1945年8月27日)

ラ・コルメナ移住地では1941年の第二次世界大戦開戦に伴い、1942年から干渉官の管理を受けることになりました。
 ラ・コルメナ移住地自体は、対外関係上、海外移住組合連合会の出先機関であるブラジル拓殖部の理事であった宮坂国人個人名義により契約されていたため、日本政府・公共機関のものとはされず、没収を免れましたが、その後1945年8月9日には大統領令により日本とドイツの経営団体の解散が命じられ、終戦時に学校土地・建物・施設一切が没収されました。
 なお、戦後は1946年には私塾形式での学習が再開され、1969年に新校舎が建設されました。

日独人学校没収に関する大統領令
(第9,980号)

  第一条 本令発令の日(八月二十七日)より、パラグァイ共和国内に在る、日独人の学校組合及び学校は、それに附属する一切の財産と共に、永久に文部省の財産に編入さるべきものとす。
第二条 文部大臣をして、直ちに前条財産の占有に付き、必要なる処理を採ることを命ず。財産目録評価表を作成し、政府所属の公認役場に於て証書を作成すべし。
  第三条 文部大臣は前期証書の作成に当りては政府を代表し、署名すべし。
  第四条 本令に依って決裁された事項は不動のものとす。但し第三者の権利に属するものは除外し。場合に依りては、政府はこれを賠償の上引取ることあるべし。
  第五条 本令は直ちに一般に公布すべし。

右大統領令に至る理由書

  一、 八月九日付け大統領令に依り、ア市に於ける独逸人体育協会の解散を命じたることは、公衆利害に関する見地からであった。
  二、 パラグァイ共和国内にある総ての日独人、学校組合及び学校教育は、パラグァイ国家愛国心を薄弱たらしめ、デモクラシー思想に反するのみならず、ナチス並に帝国主義宣伝をなしつゝある事実の確証を得たること。
  三、 日独人の組織する団体中には政治的、異教徒的の分子存在するを以って、これらを一掃する必要あること。
  四、 この処理は、敵国人財産の精算に関する現行法に抵触せざること。
  以上の理由により本令を発令するものなり。
    《ラ・コルメナ20周年史より》

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