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第15回日本語スピーチコンテスト
各部門1位の入賞作品

スピーチコンテスト

2003年9月6日にラジオ・パラナ劇場(於エンカルナシオン)にて行われました、第15回日本語スピーチコンテストの各部門の1位入賞作品です。タイトルをクリックすると、スピーチへジャンプします。
なお、小学校低学年の部につきましては、暗唱コンテストのため、割愛させていただきました。

部門
名前
タイトル
小学校高学年の部 宇和城 恵里華 わたしのいとこジセルとモニカ
中学生の部 岡本 正紀 受け継ぐことの大切さ
青年の部 欒  美佐 生きている私
非日系人の部 サイミントン ジェシカ 留学経験


小学校高学年の部 第1位

わたしのいとこジセルとモニカ

    エンカルナシオン日本語学校 小学五年  宇和城 恵里華 (十才)

 私のお父さんは、日本で仕事をしているので、私も、日本とパラグアイを行ったり来たりしています。
 私がパラグアイにいる時、いつも遊ぶ相手をしてくれたのは、いとこのジセルだけ、でした。
 私は同い年のジセルが大好きです。ジセルの妹のモニカは、むだなことでおこったり、いたずらが好きでふざけたりするので、私とモニカはよくけんかをしていました。でもすぐ仲直りをしていました。
 それに比べてジセルは私が日本にいるお父さんのことを思い出して泣いている時、
「もう泣かないで。お父さんは、仕事に行ってまた帰ってくるんでしょう。」
と、声をかけてくれます。そうすると私は少し落ち着いて、もう悲しいことを忘れ、ジセル達と遊んでしまいます。
 そんなジセルも妹のモニカのことをガミガミしかったり、いらいらしたりすることがあります。それはモニカが宿題をしないでふざけたり、学校に忘れ物をしたりして、
「ジセル、鉛筆貸して。」
などと言っているからです。
 私はそれを見ていて(ジセルがモニカのことをしかるのもしょうがないな)と思います。
 ジセルはいつもやさしく明るく、モニカはちょっとふざけんぼうです。ジセル達には、お父さんとお母さんがいません。去年の八月に交通事故にあって、亡くなってしまったのです。
 私は日本にいて、くわしいことは分かりませんでしたが、お父さんとお母さんが、悲しそうな顔で話していたことが思いうかんできます。
 私は、
「ジセルとモニカもだめかもしれない。」
と聞いて、(体がダメになっても車いすを使ってでも生きていてほしい)と願っていました。
 その事故の後から私の家族は、ジセル達とくらすためパラグアイに来ました。私は、ジセル達の顔を見て、(命が助かってよかった。)と思いました。
 事故のしゅんかんにモニカのお父さんは、そばにいたモニカの命を助けるためほうり投げたそうです。だからモニカは体をぶつけて、少し記憶をなくしたけれどぶじでいられました。ジセルはおなかをうっていたけど、もう治ったのでよかったです。
 ジセル達と私は、今までスペイン語やグアラニー語で話していました。でもジセルは、(もし日本に行ったら文字や言葉が分からないので日本語を覚えたい。)と言っていました。だから今年の二月からエンカルナシオン日本語学校に通うようになりました。今では、
「あっ、あそこに犬がいる。」
「あれちょうだい。」
などと日本語を話せるようになりました。ひらがなも書けるようになりました。
モニカもジセルのまねをして、
「ちょっと待ってね。」
「いただきます。」
などと言うようになりました。
 これから私の家族が日本に行く時はジセル達も一緒に行くことになるので、それまでに覚えてほしいです。
 私は、ジセルの日本語の宿題を見てあげたり、できるだけ日本語で話すようにしたりしています。
 ジセル達と一緒に、私のお父さんのいる日本へ、早く行きたいです。

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中学生の部 第1位

受け継ぐことの大切さ

    イグアス日本語学校 中学二年 岡本 正紀 (十四才)

 「東〜だい〜せ〜ん〜、、西〜おか〜の〜し〜ま〜。」と、対戦相手の大山君と僕の四股名が、教頭先生の甲高い声で、土俵の周囲に響きます。
 続いて、土俵に上がった力士は、年季の入った廻しを締めて一礼し、気合を込めて塩をまきます。
 これが、毎年恒例イグアス校の、「子供の日」相撲大会の一こまです。
 僕らが通う日本語学校では、何十年も受け継がれている行事が幾つかあります。その中で子供の日に行う相撲大会は、毎年必ずと言っていいほど、中学生男子生徒が反対する行事です。
 「相撲を取りたくない。」という生徒と、相撲を取らせたい先生との間で、毎年激しい意見の対立があります。中学生になって初めて、子供の日の話し合いで、生徒会の集まりに出席したときは、すごくびっくりしました。先輩達が「何故、相撲をしなければならないのか?子供の日なら自分達の好きなスポーツをさせてください。」と、鋭く意見を述べていました。そんな時、校長先生は「相撲は日本の伝統文化であり、日本語学校の日本的行事として、これまで先輩達が続けてきた相撲を、そう簡単に途絶えさせる訳にはいかない。」と、優しく諭すように説明してくれました。
 現に、六十歳を過ぎた校長先生も、毎年子供の日には、自ら細身の体に廻しを締めて、『論より証拠』とばかり、生徒達と相撲を取ってきました。そこには、勝負より大切なものがあると言うことを、身をもって教えているように思いました。「伝統とか。文化とか。」―――今の僕たちには、よく理解できないことかも知れません。先輩達は、前日まで猛反対をしましたが、結局当日は、相撲を行うことになりました。その為に、学校を休んだ生徒も何人かいましたが、殆どの生徒が参加したこの日の相撲大会は大きな怪我も無く、無事に終える事が出来ました。
 「相撲」って日本独特の伝統文化なんだ。今年の子供の日には例年以上に、少しでも本物の相撲の雰囲気に近づけようと、先生が、生徒全員に立派な「四股名」を付けて下さいました。そして、トーナメント表や浴衣・袴なども用意して、この日の相撲の為に、準備や演出をしてくれました。相撲に反対だった中学生たちも、取り組みが迫ると、少しでも良い廻しを求めて、廻しの取り合いをする有様でした。
 その廻しは、何十年も前に、日本から寄贈されたものです。相当年季の入った廻しで、きっと現在まで、沢山の移住者が締め、その汗が染み込んでいるのだと思います。娯楽が少なかった移住地はじめの頃、この廻しは、部落の大会や、全パの大会に盛んに使われたようです。見る人を楽しませ、相撲を取る人をどれだけ活気づけたことでしょうか。いまでは、この日ぐらいしか使われなくなって淋しい気もしますが、きっと廻しは、移住地の歴史と共に歩んできたような気がします。
 今考えてみると、僕たちの祖父母が移住してきた時、多くの日本文化をもって来てくれました。その一つに相撲があります。確かに、今の僕たちはサッカーをよく遊びますが、伝統行事は一年に一回続けることに意義があるのだと思います。この原生林を切り拓いたパラグアイの赤土の土俵で、僕ら二世・三世が、相撲を取り続ける事。それは、日本語学校の伝統行事であると同時に、ただ単に、好きだとか、嫌いだとか個人の我がままだけでなく、時代のスピードに押し流されないで、しっかり守っていく、受け継いでいく、その事の大切さを、子供の日の行事「相撲大会」で学んだような気がします。

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青年の部 第1位


生きている私

       アマンバイ日本語学校 欒  美佐  (十七才)

 生きるという事、それは楽しむ事、泣く事、叫ぶ事、痛みを感じる事。そして生まれて来るという事は、生きて行くと共に少しづつ死んで行く事。
 良く考えてみると、私達はやりたい事をやっていないで、それで満足して生きているのでは?
 人間いつ死ぬのかは分かりません。後悔のある人生を送っていませんか。
 私は二年前に、父を亡くしました。
 あの時、あんな事言わなければ良かった。あぁすれば良かった。こうすれば良かった。とか、色々考えてしまうけれど、今になって気づいても、もう遅いのです。遅い事が理解できていても、考え込んでしまう私には後悔の涙を流す事しか出来ないのです。
 父はサンパウロで治療を受けるタメ一ヶ月もの間帰って来る事が無く、その長期、いやむしろ短期とも言える間に父は亡くなりました。私が最後に父を目にしたのは、8月31日、スピーチコンテストの前日です。その夜、私はイグアスでのスピーチ大会の出場が決まっていたタメ出発しなければならなかったのです。そのタメ、4時間前にカンポグランデから帰って来た父とは一目見てお別れを告げなければならなかったのです。それも、永遠の別れと知らずに…。
 そのたった4時間以来父とは会わないまま、私は悔しい想いで生きて来ました。「いって来ます。」のたった一言で私が抱えて行く一生の悔しさを覚えました。
 人生というものは、ハッピーセットのようには行きません。難問が次々と現れて行き、乗り越える事が出来た時には又ちがう難問が待ってくれています。
 何度も考え込んだ事がありました。
 人間というモノは、ただの世渡り上手になって行けば良いのか、リッパに育つ事なのか、社会で認められる人になる事が大切なのか、私は首をひねるばかりでした。
 理解出来なかった私はその答えをある"人"に見つけることが出来ました。皆さんの思考は私には分かりません。しかし、私はこの方、"イエス・キリスト"に出会って"生きている私"の意義を理解できました。
 この世には良い事と悪い事があります。では、なぜこのような事があるのかを一度でも立ち止まって考えてみた事がありますか?良い事をする人も悪い事をする人でさえも、最終的には皆"死"とぶつかるのです。しかし私達クリスチャンには"死"のつづきがあるのです。神を受け入れるモノには、神からの"永遠の命"という贈り物が約束されているのです。このようなすばらしい贈り物を神は私達に保証してくれているのです。それも、光の子として私達を受け入れてくれます。だからこそ、主に喜ばれる事が何であるかを見分け、光の結ぶ実になって行きたいのです。しかし残念ながら神を受け入れていない方がまだまだ沢山いるのです。
 皆様を惑わすタメにこうしてキリストの事を語っているのではありません。神を通して私が伝えたいのは「皆さんもクリスチャンになるべきだ。」という事では無く「このような人生の解決の糸口もあるんですよ。」と証明したかったのです。一人一人の生き方を決めるのは自分です。そして、生きている自分がいったい何を意味するのかを見つける事も自分なのです。
 大事な事は、自分がやれるだけの事をやっていて、それが正しい方向に動いているという事なのです。
 私は、"今"自分のやらなければならない事、やりたい事をしていて満足の出来る人生を送っています。
 泣いて一日を過ごすか、笑って一日を過ごすのかは、私が決める事。
 とりあえず"後悔の無い人生を送る"これが私の第一の野望。
 自分がしたい事をやっていないで、それを運命だと思い込んでいても後悔ばかりか、明日になれば何が起こるのかは誰にも分かりません。もしかしたら、明日になれば自分は死んでいるのかもしれません。
 さきの分からない自分の人生。
 今のキモチだけまっすぐに見つめて生きてみてはどうですか?

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非日系人の部

留学経験

    日本パラグアイ人造りセンター  サイミントン ジェシカ(二十五才)

はじめまして、サィミントン・ジェシカと言います。パラグアイに住んでいるオーストラリア人です。どうして一人でパラグアイに来たのかとよく聞かれます。
 こうかん留学生として一九九六年にはじめてパラグアイに来ました。カラペグアという町に一年間ホスト・ファミリーと住んで、高校で勉強しました。
 はじめは、「HolaとMi nombre es Jessica」というスペイン語しか話せませんでした。その上、そういうちいさい町に、英語が話せる人もいませんでした。ですから、はじめの三ヶ月ぐらいはさびしくて大変でしたが、たくさんスペイン語をおぼえて、いい友達を作ったので本当におもしろくて楽しかったです。
 学校が始まったばかりのころ、おもしろいことがありました。まだ、スペイン語があまり話せなかったのでいつも学校に辞書をもって行っていました。「クラスの中でだれが一番かっこいい。」と女の人のクラスメートに聞かれました。はじめは、質問が全然わかりませんでしたが、辞書を使って、やっとわかりました。「あの人がかっこいいと思います。」とスペイン語で言いました。すると、彼女はその男の子に言いに行きました。何と、彼は私のところに来てキスしました。わあ。びっくりしてはずかしくくて、顔が真赤になりました。「はずかしい。」と言おうと思いましたがスペイン語で何というか知りませんでした。それに、辞書を使ったら時間がかかるので使いたくなかったです。スペイン語には英語ににている言葉がたくさんあるので、英語のはずかしいという言葉を使ったら、わかるかもしれないと思いました。はずかしいは英語で「embarrassed」なので「estoy embarasada」と言いました。すると、みんなは笑ってしまいました。
 どうして笑っているのかわからなかったので、すぐ辞書でさがしました。「embarasada」はスペイン語で妊娠しているです。ですから、私は男の子がキスしたあと、「妊娠している」と言ってしまったのです。わかると本当にはずかしくなりました。でも私もたくさん笑いました。このおかしな経験は、決して忘れないと思います。
 パラグアイでの一年間は、早くすぎました。オーストラリアに帰るときはとてもさみしかったです。パラグアイへ来たばかりのころ、わからないことや慣れないことが多くて、ホスト・ファミリーや友達にめいわくをかけましたが、おかげではやくスペイン語をおぼえることができました。お世話になったみなさんに「ありがとうございました」と言いたいです。
 その一年間はそれまでで一番大変でしたが、二つの国の違いと私自身についても学べたので、いい経験でした。
 みなさん、留学する機会があったら、私はぜひ勧めます。
 ありがとうございました。

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